仏語再勉強の軌跡

フランス語の本が楽しめるようにするのが今年の目標

サルトルとボーヴォワール

左側がサルトルの死後、ボーヴォワールが彼の最後の10年間を書いた本(英訳)です。前半が、1年ごとの記録、そして、後半(分量的には2/3以上)が、失明したサルトルとの対話の記録になっています。前半部分を読みましたが、数人の女性に囲まれて生活し、最後は交代で介護され、まるでハレムのように感じました。

どうも良くわかりませんでしたが、右側の本を読んで、状況が、かなりわかりました。

右側は米人伝記作家が、サルトルボーヴォワールを、カップルとしてとらえて書いたものです。関係者とのインタビュー、資料の調査だけでなく、特に、残された多数の手紙を丹念に分析して書いています。

サルトルは5フィート1インチ(158cm)の身長で、しかも、斜視。その劣等感を克服するために、俺は頭で勝負して、世に出ると決意し、その通り、実行したそうです。

二人は、哲学の教員資格試験の2次の口頭試験を、一次筆記試験の合格者グループで準備をしていた時に、お互いの頭の切れ味を認め合い、それが、生涯続いたわけです。それぞれが、自分の知を発露するために、互いを必要とする関係です。もちろん肉体関係はあったわけですが、それを超越した、知的関係です。

それにしてもサルトルの女性関係はすざましい。最初に訪米したときの通訳の女性、そしてロシアの通訳の女性(ロシアへは10回以上行っている)、日本の通訳の女性もそうです。そして、ボーヴォワールの教えている女学校の生徒たち、サルトルの本、その他に、感動し、近づいてきた女性たち。それぞれと、深く、かつ長期的に関係を持ちました。パリの彼の住まいの近くには常に数人の女性がいて、何とか、鉢合せを避けつつ、関係を続けたようです。

ボーヴォワールサルトルほどではないですが、それなりにサルトル以外との男関係がいろいろあり、特に、米国訪問時に知り合った米人作家との関係は、深く、かつ長期的だったそうです。そして、生前は否定していましたが、女性との肉体関係もあったことが、死後、養女が出版した書簡集で明らかになったとか。英訳を持っていますが、まだ、読んでいません。

サルトルも養女を相続人にしましたが、その方は、書簡その他の資料を公開していないようです。しかし、右側の本は、2005年の出版ですので、状況は変わっているかもしれません。それらの資料から、いろいろ、さらに驚くべきことが、明らかになるかもしれませんね。

サルトルは政治にのめり込みすぎたようです。そして、覚せい剤アンフェタミン)も長期にわたって使用し、その力を借りて、特に政治関係の執筆をつづけたとか。「ボバリー夫人」のフローベールの研究書が未完となったのは残念ですね。フローベールも、二人と同じ、難関の哲学教員資格試験をパスしています。

業績だけでなく、芸能人顔負けの、すざましい生活ぶりも、興味をそそる二人です。

以下はボーヴォワールの42歳ごろの後ろ姿と、米人の恋人です。