仏語再勉強の軌跡

フランス語の本が楽しめるようにするのが今年の目標

フランス語

今年の1月で70歳になりました。人生の残りを今までの感覚と違い、具体的に、間近に思うようになりました。ここスリランカに来てから五年半です。勿論、生活を確立するのが優先でしたが、大体、初めの3年はシンハラ語の勉強、残りの2年はタミル語の勉強をしました。そして、わかったことは、このままあと10年やっても、どちらも、とても物にはならないだろうということです。

1月に受けた脳のMRI検査で、白い影が見付かり、脳卒中の可能性があるという医師の判断もありました。タミル語は、そもそもスリランカに来た目的でもあり、せっかく始めたことだし、最後まで頑張るべきだとの思いもあり、悩みました。しかし、そのことよりも死ぬときにあたふたしたくない、そのためにどうしたらよいか、それを考えるのが第一優先だと考えるようになりました。

そして、4月に一時帰国して、いろいろ本を仕入れて読んでいる中で、ボーボワールの本との出会いがあったわけです。最初に読んだのは女史が母を妹と2人で付きっきりの看病の末に看取った経験を書いた本。もう一冊は、老いを見つめる女史とサルトルをモデルにしたような小説、そして、母をモデルにしたような、夫、家族だけが生きがいで、自滅していく女性を書いた小説集です。

それで、俄然、フランス語を勉強したくなったわけです。しかし、もう今更フランス語を勉強しても遅い、残り10年で物になるだろうかという思いで、迷いました。しかし、6月に仏検試験があること知り、やるだけやってみて、続けるかどうするか判断しようと決意して、必死で勉強しました。やってみた結果、シンハラ語タミル語とは全く違い、勉強は大変でしたが、スムーズに進みました。わかりませんが、物になりそうな気がします。少なくとも、死の床で過去を振り返り、やってよかったと思えるレベルには行けると思います。

4月と、二回目の6月を中心とした一時帰国の機中で、英語の映画を見ましたが、残念ながら良くわかりませんでした。読むのはいいのですが、映画は難しいですね。フランス映画には名作がたくさんあります。ジャン・ギャバンアラン・ドロンカトリーヌ・ドヌーブ。本だけでなく、映画もまた古いのを見て楽しみたいですね。最近はあまり表面に出てきませんが、名作は作られているのかも知れません。

そんなわけで、英語で映画が楽しめないという、同じ轍を踏むことの無いように、音にも十分注意しつつ勉強を進めたいと思います。