仏語再勉強の軌跡

フランス語の本が楽しめるようにするのが今年の目標

「死の育て方」中沢正夫


1995年、ちくま文庫版 (初出版は1991年単行本)

著者は1937年生まれの、今だにほぼ現役と思われる精神科医です。以下、著者の一人称で、私なりに、この本の概要をまとめてみます。

「私は風化仏教徒である平均的日本人で、あまり宗教心はなく、死は自己の消滅と考えている。今は、50代の前半・・・視野狭窄的「死」について述べていく・・・足らざるところは、70歳になったら、80に達したら(もし生きていれば)、「狭い料簡でした」とあやまりながら書き改める。

死について書いた本を読んでみると、だれでもが「死とは、よく生きることである」と書いてある・・・死が避けられない以上、あくせく思い悩んでもしかたがない。その時は、結局、じたばたと迎えることになるのではないか。どう準備しても、その時になってみなければ、わからない。

迎えが来るまで”いかに豊かに生きるか”、それが唯一の死の対抗策ではないか。その「よく生きること」の一般化を試みると以下の二つとなる。

一つは自分の死に参加する権利を行使すること。もう一つは、第二の人生を計画し、時間をアゴで使う生活をすること。

人間とは他の動物と違い、自分の死を、いつもではないが、自覚して生きる変わった動物である。そこで人は、死とは何かという答えのない命題と対峙するか、死後の安らぎの世界を創作するか、輪廻転生を信ずるしかない、と私はしらけている。」

私が具体的に死を意識したのは50歳、数度の喘息の発作でした。そのときは、すぐそこに死があると思い、パニックになりました。呼吸ができなければ、人間は、10分、20分程度で死に至るわけです。そのパニック状態を、いまだに覚えています。著者も書いていますが、「いさぎよさは男の永遠の美学である」。平均的女性は強く、プラグマティックですが、男は実は弱く、ロマンチストとであると、私も思います。

結局はジタバタすることになるかも知れないが、そして、それで良いのかも知れないが、私は、死とは何か、生きるとは何か、という答えのない命題と真剣勝負したい。それが、若いときからの私の夢だったし、幸い、いま私は、それができる状況にある。

本日、日本に2週間の予定で一時帰国します。著者は現在79歳ほどで、私よりは8、9歳年長です。この本を書いた後にも、専門以外に、いろいろ書かれています。注文し、私の日本の住まいに届く手筈です。この本の考えからどう変わったのか、あるいは、変わっていないのか、読むのが、楽しみです。結局、変わっていないのではないかと思いますが、どうでしょうか。。。。

これから、飛行機に乗りますので、いつものように、おまじないで、お寺にお参り、旅の安全祈願をしてきました。