仏語再勉強の軌跡

フランス語の本が楽しめるようにするのが今年の目標

276 Under The Waterfall

第四詩集の "Satires of Circumstance" 「人間状況の風刺」

276 Under The Waterfall

        滝の真下に

http://youtube.com/watch?v=19LdVhimbm4

'Whenever I plunge my arm, like this,
In a basin of water, I never miss
The sweet sharp sense of a fugitive day
Fetched back from its thickening shroud of gray.
Hence the only prime
And real love-rhyme
That I know by heart,
And that leaves no smart,
Is the purl of a little valley fall
About three spans wide and two spans tall
Over a table of solid rock,
And into a scoop of the self-same block;
The purl of a runlet that never ceases
In stir of kingdoms, in wars, in peaces;
With a hollow boiling voice it speaks
And has spoken since hills were turfless peaks.'

「洗面器のなかへ このように腕をひたすと
いつもかならず わたしは鮮やかに取り戻すことができるの、
記憶から逃げそうになる ある一日の甘美な想いを、
次第に濃くなる 灰色のヴェールの彼方から。
   だからこそ わたしが覚えていて
   そして 何の心の傷も残さない
   ただ一つの、その歌よりも大切な
   ほんとうの 愛の 歌は
堅い岩盤の上から、同じ岩のなかの
壺のなかへと落下する 幅は三尺
高さは二尺の 谷間のなかの小さな滝が
さんざめき歌う 水の歌。
諸王国の騒乱や 戦争や和平のときにも
止むことのない せせらぎの水の音。
水は 洞に響く涌きたつ声で歌っている
峰の上に芝草もなかった昔から歌い続けている」

'And why gives this the only prime
Idea to you of a real love-rhyme?
And why does plunging your arm in a bowl
Full of spring water, bring throbs to your soul?'

「ではどうしてこれを 本当の愛の歌という考えに
あなたは 結びつけるのですか?
泉の水でいっぱいの鉢のなかへ腕を浸すことが
どうしてあなたの魂に 興奮を生み出すのですか?」

'Well, under the fall, in a crease of the stone,
Though precisely where none ever has known,
Jammed darkly, nothing to show how prized,
And by now with its smoothness opalized,
Is a drinking glass:
For, down that pass
My lover and I
Walked under a sky
Of blue with a leaf-wove awning of green,
In the burn of August, to paint the scene,
And we placed our basket of fruit and wine
By the runlet's rim, where we sat to dine;
And when we had drunk from the glass together,
Arched by the oak-copse from the weather,
I held the vessel to rinse in the fall,
Where it slipped, and it sank, and was past recall,
Though we stooped and plumbed the little abyss
With long bared arms. There the glass still is.
And, as said, if I thrust my arm below
Cold water in a basin or bowl, a throe
From the past awakens a sense of that time,
And the glass we used, and the cascade's rhyme.
The basin seems the pool, and its edge
The hard smooth face of the brook-side ledge,
And the leafy pattern of china-ware
The hanging plants that were bathing there.

「それはね あの滝の真下に あの岩の襞(ひだ)のあいだに
正確にはどこだか どうしても分からなかったけれども
暗がりに隠されて どんなに貴重なものかを示すものもなく
今はもう滑らかな表面も オパール色に濁っているでしょうけど
   コップが一つ落ちていますの
   と言うのは あの峠からの道を
   わたしの恋人とわたしは
   景色の写生をしようと
八月の暑さのなか、青空の下を 降りてきましたの
頭上には木の葉で織られた緑の日覆いがありました
フルーツとワインの入ったバスケットを
小川のほとりに置き 腰を降ろして 食事にしました
樫の木立が夏の日差しを遮ってくれるところで
二人が一緒にそのコップで廻し飲みをしてから
滝の清流ですすごうと私がコップを持ったとたん
手が滑ってコップは沈み 取れなくなりましたの
わたしたちはしゃがみこみ 長く腕をはだけて
小さな淵を捜したけど駄目でした。今もコップはそこにあるのです
だから前にお話ししたように 洗面器か鉢の冷たい水に
今でも腕を突っ込むと 過去の思い出の痛みが
あの時の気持ちと わたしたちの使ったコップと
滝が歌っていた歌とを 蘇らせてくれますの
洗面器はあの時の川の淵のように見え 洗面器の縁は
あの時の 小川のほとりの 固くてなめらかな岩棚に見え
陶器でできた 洗面器の葉の模様は
あそこに水浴していた 垂れ下がった植物に見えるのです

'By night, by day, when it shines or lours,
There lies intact that chalice of ours,
And its presence adds to the rhyme of love
Persistently sung by the fall above.
No lip has touched it since his and mine
In turns therefrom sipped lovers' wine.'

「昼も夜も 晴れの日も雨の日も
私達の聖杯は 誰の手にも触れないで沈んでいます
そのコップの存在は その上で止むことなく歌われている
あの愛の歌の 響きを さらに清めてくれます
彼とわたしの唇があのコップから かわるがわる愛する者のワインを
啜(すす)ってから 誰の唇もそれには触れていないのです」


*****

この詩は第四詩集の "Satires of Circumstance" 「人間状況の風刺」の中の一つで、朗読は、Ms. Janet Maw と Mr. Bruce Alexander です。

最初の妻との思い出を歌っています。以下、解説の一つです。

http://www.askwillonline.com/2013/02/under-waterfall-by-thomas-hardy-analysis.html

別の朗読です。

http://youtube.com/watch?v=w8OHQqfhqho


(個人的感想) 朗読にほんの少しですが、原文との違いがあります。版の違いではなさそうです。三人ともです。原文を見ないで聞いて、違和感はありません。特に、Ms. Janet Maw の'I'の追加は、かえってその方が自然なような気がします。しかし、ハーディは何というでしょうか????

英語の小説の朗読もいろいろ、主としてAudibleからダウンロードして聞いていますが、原文との違いが、ときどきあります。プロとしてお金をとって朗読するのであれば、正確に読まねばならぬ、否、朗読者の解釈でいいのだ、とか意見は、分かれるのでしょうか。。。

日本語の詩とか小説の朗読はどうなのでしょうか。最近は、販売されているようですね。

それでは、音楽はどうでしょうか。楽譜をどう考えるか。演奏者の解釈の自由をどこまで認めるか。バッハ、ベートーベンとかでは、楽譜から外れることは、まず、ジャズ化した場合とかの例外でしょう。しかし、楽譜は、あくまで、流れる音楽を、点の連続で表現しているので、微妙な解釈の違いはあると思います。特に、弦楽器の場合はそうですね。